主人が働きすぎでいつ倒れるかと毎日気が気ではありません。

http://q.hatena.ne.jp/1152107578
こんな仕事だったら、超激務でもいいかな、と思う。

  • 収入が極端に良い(少なくとも、数年間継続的に年収1千万以上)
  • 社会的地位が高い(少なくとも、弁護士とか医師くらい)
  • 自分にとっての価値が極端に高い(例えば、未踏なんかで採択されるような内容のプロジェクト)

まあ、そんなうまい話はそんなに転がっているわけではないのだけど、激務であるなら、せめてそこに繋がるようなものでないと、正直もたない。
この質問に出てくる「主人」さんは、これを読む限りでは、上記のいずれも満たされていないように思う。現場で必要とされているから、厳しい環境下でも業務を行う、というスタンスでいるようだ。実際には、健康な身体でいる間しか、現場で必要とされないのに。少なくとも、一日も休みの無い状態で働いていながら、年収が八桁に届いていない、というならそれはすでに、サービス残業か、それに類する搾取が行われている、と考えるべきだと思う。
以下は、ちょっと個人的な話。ソフトの仕事をしていると、海外のパッケージベンダ(Microsoftのような会社)と仕事をすることが、たまにある。使っているパッケージソフトのサポート(バグに関する確認や、設定方法の質問)をしてもらうためだ。こんなとき、海外のベンダのスタッフは、憎たらしいくらい、きっちりと休みを取る。クリスマスやらバカンスやらで、「こっちは先を急ぐのにー(怒)」とキレそうになることもあるけど、どうしようもない。
でも、大抵の仕事は、そのくらいのスタンスでもいいんじゃないか?って思うようにもなった。実際には、業務のアウトプットの品質問題が事故や行政指導につながるから、そうはいかない、という反論もあるかもしれない。しかし、品質維持のために、沢山の単純作業をこなす必要があるなら、それは沢山人を雇えばいいわけだし、複雑な作業をこなす人がどうしても必要なら、その人は給料を高く、ということにすればいい。少なくとも、給料が十分に出ない労働者が(サービス残業などで)酷使される、という状況が、正当化されるいわれは無いはずだ。
さて、本論に戻ると、この「主人」さんについては、どうやって業務量を減らすかについて、本気で考えるべきタイミングにあるんじゃないかと思う。(不謹慎な話だけど)もし、この先、過労死してしまったならば、遺族の奥さんはそれなりに慰めとなる対価としての金がもらえるけれど、必ずそういう形に落ち着くとは限らない。現実問題としては、死ぬ一歩手前の、身体を壊す、心を病む、といった結果になる確率のほうが高いし、こちらのほうが問題は深刻だ。これで退職、という事にでもなれば、収入は途絶えるわ、医療費は出て行くわで、到底割に合わないことになる。あらゆるものを犠牲にして会社に尽くした結果、医療貧乏(&再就職困難)、という事にでもなってしまえば目も当てられない。会社を変えてでも、環境を良くしたほうが、中長期的には、プラスになるのではないか。

# こういった問題は、常に他人事じゃない、という意識でいないといかんね。