過激な性教育、ジェンダーフリー教育について貴方はどう思いますか?

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性教育ジェンダーフリー教育がごっちゃになっているような感も少々あるけど、思ったことを書いてみますか。
性教育については、過激かどうかという観点よりも、実効性があるかどうか、もっと突っ込んで言うなら、望まない妊娠や性病の蔓延を抑止できるかどうか、実際に妊娠の兆候が現れたときに適切なアクションを起こせるようになるかどうかを、徹底して重視すべきだと思う。恋愛・セックスの低年齢化が進行している上、メディアが子供に恋愛・セックスの情報を伝えることを躊躇しなくなってきた現状では、性教育の内容が「過激」になることも、いささか仕方が無いのではないか、とは思う。単に過激なだけ、という教材は、クオリティの低さという観点から淘汰されるべきであると考えるべきで、過激さについてはさほど考慮すべきではないと思う(もし教育現場で、過激すぎる教材を使うことで、実効性が下がる(子供が嫌がる、とか)ことが明確ならば、過激な教材を使うべきでない、と言えるけど)。

ジェンダーフリー教育と呼ばれているものについても、基本的には賛成。専業主婦という家族形態が、経済的な理由や意識変化の面などからリスキーなものになっている現状では、ジェンダー・フリー教育(というか、男女の性差について凝り固まった考えを持たないようにするための教育)は、非常に重要だと思う。腕力が無くても働ける現代社会において、働く人間が男でなければならない必然性なんて、特に無いのだ。女にだって研究は出来るし、女にだって肉体労働は出来るし、女にだって経営は出来るのだ。女性の社会進出、と騒ぐ人もいまだにいるけれど、能力がある人間が現場に出てくるのは自然なことで、それを縛る必要性も、実はさほどなかったりするのだ。
とはいえ、何も考えないで生活していると、日常生活のあれこれと同じように、男と女のありかたにも凝り固まった考えを沢山持ってしまうようになる。それ自体は仕方の無い話だと思う。だけど、結婚制度をはじめとして、男と女のありかたには、生活様式に直結する側面がある。だからここで凝り固まった考えを持つほど、その人やその人を取り巻く人の生活が不自由になってしまう事になる。少なくとも、子供の凝り固まった考えをほぐし、偏見から解放するのは、教育者の役目だ。そういう意味で、ジェンダーフリーの考え方を教育することは大切だと思う(内容は、もっと洗練されていくべき、と思うけど、それはまた別の話)
ただ、あえて言うなら、ジェンダーフリー教育の導入と並行して、男の子として、女の子として社会でうまくやっていくための作法についても、教育に取り込む必要があるんじゃないかとは思う。たとえば、男の子としては女の子にどう接することが好ましいのか、とか、女の子としては男の子にどう接することが好ましいのか、といったことだ。凝り固まった考えをほどくことそれ自体は意義のあることだけど、社会で生きていくうえでは、凝り固まった考えの人とうまくやっていく上で、適切な作法を選択できなければ、結局損をするから。
教育という観点からは、実際に生きていくためのスキルと、根本を見通すための洞察力と、人と接するための社交術はセットで教授するべきで、いずれが欠けても、自由な人間を作ることは出来ないと思う。自由な人間が増えて欲しくない、という人が社会にはたくさんいる、ということは仕方の無いことだけど、こと国の教育のあり方については、理想から話をしたいと思うわけです。