アーキテクトだけじゃサービスは作れない

ちょっと遅れたけど、ホッテントリでみつけた未来予測に難癖を付けてみる。
http://d.hatena.ne.jp/essa/20070131/p1
「働かなくても食っていける社会」という視点は、これまで持ってこなかったので、正直びっくりした。そんな見方もあるんだな、と。でも、そんな世の中がくるはずはないな、とも同時に思った。
WindowsLinuxといったOSの進化、IEFirefoxといったWebブラウザの進化、IISApacheといったサーバソフトウェアの進化、これら以外のあらゆるアプリケーションソフトウェアの進化、そしてインターネットの普及により、一人の人間が一日にできるシンボル操作の量が飛躍的に増えたのは事実。2人の大学院生が圧倒的なシンボル操作能力を駆使して作りはじめた検索エンジンが世界を制したという事実が、そういう流れを示唆している、とはいえる。
でも、じゃあ、なんで今Googleの従業員が6500人を超えて、さらに増え続けているのか、というのが一番の疑問。まだ巨大企業、というレベルじゃないかもしれないが、それでも十分に大企業だ。Skypeもそこまでじゃないけど、500人はいる。少なくとも、それだけの人間が必要、ということだ。
以下、ソフトウェアの話にしぼって説明を続ける。ソフトウェアの開発では、どんなに開発スキルが高い人が開発をしたとしても、時間をかけざるを得ない作業がある。デバッグ作業とか、ソフトウェア部品ごとの接続検証といった、品質保証のための作業だ。
「いやJUnitなどのツールが整備されているので、テストの効率は上がっている」という人もいるかもしれないが、でも最終的に品質を保証するためには、どこかで、ちゃんと動くかどうかを自分達の目で確かめる工程が必要になる。どんな使われかたをしても大丈夫か、いちいち確認する作業は、最終的には避けて通れない。変な文字コードを送信されたぐらいで、いちいちシステムを停止しているような事があっては、とてもじゃないがサービスとしては認められないからだ。
Googleとは離れるが、家電製品や携帯電話などに組み込まれるソフトウェアの開発では、開発工程の半分を品質保証作業に充てる場合もある。「ちゃんと動く」ことは、使い手に取っては当たり前の事だけど、それを保証するということは、並大抵の努力ではできないことなのだ。
ソフトウェアに限らず、システムを構成するあらゆる部分を常に安定させ続ける事で、はじめてサービスはサービスたりえる。そしてそのためには、結局、最適化に必要な作業をこなせるだけの数の、人的リソースが必要となるのだ。小さいうちなら少数精鋭で良くても、サービスを拡大していくならば、そうはいかなくなってくる。
検索エンジンとしてのGoogleは、「非常に精度の高い検索結果を得られる」事がひとつのウリだが、そういった人目に付く、価値が高く難易度の高い作業だけが、仕事じゃない。アーキテクトさえ居れば十分、ということにはならないのだ。価値は低くても、こなさなければならない仕事は一定量残る。誰もが働かなくても済む、というほど、サービス現場から人がいなくなることは無いだろう、と思っている。