社会で要求されるのはリザルトだけだ。

id:finalvent:20040811#p14に、以下の記述があった。

 日本の官僚をどう評価すべきかは、表面的に官僚は優秀なのでめんどくさい。特にネットなどだと、官僚は理屈こくのがうまいから、あれ、官僚って優秀かもに見える。
 だ・が・な、世の中っていうのは、リザルトだけだ。官僚がいくら優秀でもリザルトが出なければダメ。で、今、リザルトが出ているか?
 これに対して、日本の在野、商人、経営者というのは、奇妙にもリザルトを出す。
 ふと思ったのだが、日本なんて国は、国として腐れまくったほうが、本性の強みを維持できるのではないか。

国として腐れまくったほうが・・・の記述には同意しかねる面もある。が、それはさておくとして、官僚はリザルトを出していない、という指摘は、本質をついているなと思った。
リザルトを評価するスキームがないし、作るのが困難だから官僚を評価できない、というのは多分官僚の甘えに過ぎないと、思う。少なくとも、年金保険庁の"リザルト"を見ていると、つくづくそう思う。ちゃんと運用するどころか、ネコババまでしてるっていうのに、体制が変わることすら無いんだもん。
おっと、原文の趣旨とは違ってきてるか・・・。まあいいか。ただ、これからの時代、リザルトに固執する人間は、減ってくると思うので、「民間だから」結果を出す、ということにはならないかもしれないな、と。
うちらの世代、そんなにガツガツ食らいつくのは苦手!って人は、かなり多いですからね。運動部でレギュラー張れる人間が、実は一握りであるのと同じように、遮二無二仕事を頑張っても、それで報われる人間はやっぱりごく一部である、ということが、世代感覚として共有されてる。どうせ自己実現できるのは、恵まれたエリートばかり・・・・。なら無理してもしょうがないじゃん、って思っても、それはしょうがないっしょ。
また脱線してきた・・・。つまり、これからはみんな、「ルール」にのっとって、無理なくやっていく、という方向性の人が増えていくんじゃないかな、と思うわけですよ。競争、競争、という時代にはなって欲しくない人が多いんじゃないかと。「がむしゃらに結果を出す民間」というのは、今後減っていくんじゃないかと。
うーん。僕って、大きな政府志向が強いのかなあ・・・。