ブログの意義

僕は、ブログが国内に入ってきた当初、その流行には否定的なスタンスを取っていた。Web上で自分の意見や個人的見解を述べ、それに対する意見を求める、というアメリカ的なスタイルが上手くいくとは、到底思えなかったからだ。
というのは、自分がWeb上で議論することに、どこか不信感がぬぐえないままだからだ。
今や、ネット界の一大勢力となった「2ちゃんねる」には、ある種のイデオロギーに基づく投稿が数多く寄せられている。どちらかというと右寄りの政治的スタンスで、強硬な内容のものが多い。
彼らの多くとは、議論したくない。それは、政治的スタンスがどうこう、ということではなくて、議論する姿勢に問題がある人間が少なくないからだ(もちろん、そうでない人もいる)。
自分の思想信条を明らかにすることは、今のところ避けておく。が、少なくとも、「右」の人の主張と相容れない考え方を持っている部分は、結構ある。
わざわざサイトを開いて、わざわざ自分に批判的な人間と対等にコミュニケーションをとろう、という人間はあまりいない。少なくとも僕はいやだ。
これまでの掲示板システムは、管理人に削除権限が与えられる以外は、管理人と一般投稿者が対等に扱われるシステムだった。このため、悪意のある一般投稿者にとっては嫌がらせのやりやすいシステムだったといえる。
一方、今流行っているブログシステムの多く(はてな/tDiaryを含む)では、「ブログ解説者は主で、一般の投稿者は従」、という扱いがはっきりしている。文字のサイズも、文章を書ける量も、トップページの扱いも、全てはっきりと違うのだ。
無論、一般の投稿者による嫌がらせがない、というわけではない。しかし、システム的な取り扱いの小ささにより、わざわざ嫌がらせをする喜びは小さくなった。それなら、自分でブログを持って、「あのサイトはカス」と書いたほうが、よっぽどましというものだ。
さて、ブログが日本でも流行るようになってから、多種多様で、かつ深みのある意見を、以前よりも簡単に読むことが出来るようになった。イデオロギーに関する内容でも、いろいろと考えさせてくれるサイトが増えた(ように思う)。
アメリカでなぜブログが流行ったのか、ということはよく分からない。けれど、これは確かによく出来たシステムだ。これまでのWebにおいて大きな役割を占めた、Web掲示板のあり方を変える可能性は、十分にある。