モテとコンピテンシー

出かける途中、揺れる地下鉄の中で、「モテる人ってどんな人なんだろう」と考えてみた。
身の回りにいる「モテる人」「モテそうな人」は、総じてコミュニケーション能力が高い。コミュニケーション能力が高いから、異性とつきあうチャンスが増えるのかもしれない。異性と付き合ううちにコミュニケーション能力が上昇するのかもしれない。
「モテる人」の、異性に対する振る舞いを見ると、いつも、洗練されているな、と思う。異性に対するコミュニケーションがとても円滑で、ミスが少ない。たぶん今までに人より多くの失敗をして、そこから学んできたのだろう。だから、相手(同性・異性に限らず)に負担をかけないコミュニケーションができるのだ。
と、ここまで考えてみたところで、ふと頭に「コンピテンシー」という単語が思い浮かんだ。コンピテンシーについては、ここに説明がある。

 一般に、「高い業績をコンスタントに示している人の行動の仕方などに見られる行動特性」と定義されている。ある職務に必要とされる知識や技能や価値観などというような細分化された能力でなく、観察可能なスキルなどを通して生み出される行動様式を1つの特性としてまとめたもの。

高い業績をあげる人の行動・思考には、観察可能な、ある一定のパターンがある、ということだ。上記のページによると、成功する外交官は、「異文化に対する感受性がすぐれ、環境対応力が高い」「どんな相手に対しても人間性を尊重する」「自ら人的ネットワークを構築するのが上手い」のだそうだ。
さて、ここで本題に戻るが、僕は「モテる人」の「洗練されたコミュニケーション」を、一つのコンピテンシーとしてみることができるんじゃないか、と思うのだ。「モテるように振舞うから、モテる」のであって、他の要因は実はさほど影響を与えないのではないか、と思うのだ。
ルックスや社会的地位はどうなんだ、という反論もあるかもしれない。しかし、ブス・不細工なのにモテモテ、という話は結構あるし、その逆も結構ある。社会的地位があってもモテない、なんて話はもっとゴロゴロしているだろう。
「モテない人」が「モテる人」になりたいと思うなら、「モテる人」のコンピテンシーを身につける以外に、現実的な解は無いのではないか、と最近思うようになった。
そのための努力をしてまで、モテるべきなのかどうかは、また別として。